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受賞者

第3回史学会賞


このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第3回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2016年11月12日(土)に開催されました第114回史学会大会総会にて、授賞式が行われました。

 

受賞者

藤波 伸嘉 氏

受賞論文

「ババンザーデ・イスマイル・ハックのオスマン国制論
 ――主権、国法学、カリフ制――」
 『史学雑誌』第124編 第8号(2015年8月発行)掲載

受賞者略歴

(現  職)
(最終学歴)
(学  位)
(主な業績)

津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了
博士(学術)

『オスマン帝国と立憲政
――青年トルコ革命における政治、宗教、共同体――』
(名古屋大学出版会、2011年12月)

選考理由

 イスラーム圏の国制論においては、イスラームといういわば特殊な要因が前面に出る場合が多く、近代的諸価値への対抗が強調される傾向が強い。本論文は、オスマン帝国末期の法学者・政治家であったババンザーデ・イスマイル・ハック(1876-1913)の著作『国法』を主に取り上げ、近代的な意味での主権や立憲制を踏まえて眼前のオスマン国制を論じた全く異なった思想潮流を提示したものである。
 『国法』は、イスマイル・ハックが行政学院教授であったときの講義録である。オスマン帝国のイスラーム性は認めつつも、法や政体に関わる教説は選択的に採用し、カリフ制を含めて当時の国制と矛盾のないように説明する。彼が自明視した国民主権のもと、憲法と議会が存在するのであり、ここではオスマン王家は国家の一機関と化している。また、立法・行政両権の調和を志向し、議会が過度に君主を含めた政府に介入することに批判的であった。ここに、彼は一つの体系をもったオスマン憲政論を提示しているのである。
 一方で、彼は当時のオスマン帝国に埋め込まれた特権、特に外国人特権と特権諸州を、国家の主権を侵すものとして強く批判する。しかし、宗教的特権については多くを触れず、イスラーム国家でありながら、非ムスリムも含めた諸民族の統一を求めた。彼によれば、国民代表機関としての議会が存在する以上、民族・宗派別選挙は必要ないのである。彼の議論は当時の情勢を鑑みれば理解しうるものであるが、多民族多宗派性をその国制論に取り込むことはできなかったのである。
 本論文は、単にオスマン近代史の優れた研究というのみならず、オスマン帝国がいかに主権や民主主義という普遍的な命題と格闘してきたかを、他の非西欧諸地域とも比較しうる形で提示し、20世紀初頭という時代性を鮮やかに描いている。イスラームの再解釈、主権や民主主義との関係など、今日の中東地域に関して行われているさまざまな議論にオスマン史の立場から一石を投じるとともに、人類史における主権や立憲制の確立過程を考える上でも大きな示唆を与えてくれる論攷である。
 以上の理由から、選考委員会は本論文を史学会賞にふさわしい優れた業績と評価するものである。 

第2回史学会賞


このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第2回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2015年11月14日(土)に開催されました第113回史学会大会総会にて、授賞式が行われました。

 

受賞者

吉井 文美 氏

受賞論文

「「満洲国」創出と門戸開放原則の変容
 ――「条約上の権利」をめぐる攻防――」
 『史学雑誌』第122編 第7号(2013年7月発行)掲載

受賞者略歴

(現  職)
(最終学歴)
(学  位)
(主な業績)

山形大学人文学部講師
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了
博士(文学)
「日本の華北支配と開灤炭鉱」
 (久保亨・波多野澄雄・西村成雄編『戦時期中国の経済発展と社会変容』〈日中戦争の国際共同研究5〉慶應義塾大学出版会、2014年)

選考理由

 1931年の「満洲事変」によって、中国東北部が「満洲国」の行政下に置かれて以後、英米を始めとする諸外国は、中国との間で保有していた「条約上の権利」がどのような影響を蒙るのかについて、重大な関心を寄せていた。日本外務省は、当初1922年のワシントン会議で締結された9か国条約の遵守を表明していたが、「満洲」の実質的な植民地化という、軍部以下日本政府の本音に押されて、「満洲国」不承認の国には門戸開放原則を適用しないとの態度をちらつかせるなど、9か国条約の実質的空洞化をはかった。
 しかし、もし諸外国が「満洲国」を承認したとすれば、門戸開放原則の適用を拒否することはできなくなる。そこで日本は、むしろ積極的承認を求めないことによって、みずからの「満洲」政策に対する国際的黙認を確保するという戦略を取ったが、これは「独立国」という見せかけとの間に矛盾を抱えていた。他方英米側は、「満洲国」不承認の基本原則に立ちつつも在華権益はできるだけ確保したいという欲求から、日本人・日本企業への優遇措置を根底から批判できず、これが外務省の「黙認」という受けとめ方の根拠となっていた。
 本論文は、こうした微妙なからみあいを、対英・米関係に対象を絞り、なおかつ①「満洲国」による石油専売制導入に伴う英・米企業への不利益待遇、②中国で圧倒的なシェアをもつ英・米煙草業に対抗する日本企業の育成、という2つの事例に即して、詳細に跡づけていく。材料としては、英国国立文書館所蔵の英国外務省文書を中心に、日本外務省の記録、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)所蔵文書などの一次史料がふんだんに利用されている。さらにそこから、日英両帝国の在華権益をめぐる国際法上のすくみあいという状況が、「満洲」、さらには中国全土に展開する日本軍部の暴走を許す要因となった、という巨視的な見通しをも導き出すことができよう。
 以上の理由から、選考委員会は本論文を史学会賞にふさわしい優れた業績と評価するものである。

第1回史学会賞

第一回史学会賞授賞式風景このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のお2方が第1回史学会賞受賞者に決定いたしました。
2014年11月8日(土)に開催されました第112回史学会大会総会において受賞者が発表され、併せて授賞式が行われました。

受賞者

後藤 はる美 氏

受賞論文

「17世紀イングランド北部における法廷と地域秩序
 ――国教忌避者訴追をめぐって――」
 『史学雑誌』第121編 第10号(2012年10月発行)掲載

受賞者略歴

(現  職)
(最終学歴)

(学  位)
(主な業績)

東洋大学文学部史学科講師
ケンブリッジ大学歴史学部博士課程修了
東京大学大学院人文社会系研究科単位取得退学
Ph.D(History)
‘Charges to the Grand Jury in Seventeenth-Century England’ , D. Bates & K Kondo (eds.), Migration and Identity in British History,Tokyo,32-41,2006-12.

選考理由

後藤はる美氏の論文は、17世紀初頭のイングランド北部ヨークシャ州における社会秩序の形成過程を、地域エリートたちが繰り広げた政治的・文化的なヘゲモニー争いに注目することにより解明したものである。
 議論の主な対象は、イングランド王国臣民に課せられた国教会信仰の遵守を争点とする法廷での争いであり、後藤氏は直接の史料が残っていないという制約を乗り越えて審理過程を詳細に再現するかたわら、ヨークシャ州の地域社会、訴訟当事者たちの行動様式、さらに実際の訴訟が開始されるまでの手続きなどの法廷闘争の背後事情にも分析の目を向けている。そこから浮かび上がってきたのは、最終的に法廷で国教忌避という「犯罪」が確定されて新たな社会秩序が整えられるまでには、国家の定めた成文法の運用をはかる勢力と、地域社会の文化的コードの活用をはかる勢力との間にダイナミックな相互作用があった、という事実である。
 本論文は、種々の次元における史料の慎重かつ緻密な読み、先行研究への広い目配り、重層的な論理構成、そして冷静な分析と叙述など、多くの点で文字通りの労作かつ力作であり、第1回の史学会賞にふさわしい内容を備えた論文として、評価するものである。
 本論文では個別的世界を対象とするが、今後は、たとえば、こうした自己調節機能を持った地域社会の秩序システムが、1640年代のイングランド革命期のような全国的な動乱期にどのように揺れ動き、再編成されていったのか、あるいは同時代のフランスのような別個の原理に根ざした政治社会の秩序システムとはどのような異同があるのか、といった問題などにも議論の射程をのばし、さらに研究を進められることを期待したい。

受賞者

城地 孝 氏

受賞論文

「明嘉靖馬市考」
 『史学雑誌』第120編 第3号(2011年3月発行)掲載

受賞者略歴

(現  職)
(最終学歴)
(学  位)
(主な業績)

京都大学人文科学研究所非常勤研究員
北海道大学大学院文学研究科博士後期課程修了
博士(文学)
『長城と北京の朝政―――明代内閣政治の展開と変容―――』(京都大学学術出版会、2012年)

選考理由

 城地孝氏は、明代の嘉靖・隆慶年間(1522-66、67-72年)を対象とする政治史研究で研鑽を積み重ねており、本論文はその一環に位置づけられる。なお本論文を含む2004年以来の研究成果は、著書『長城と北京の朝政』にまとめられている。
 明代後期を対象とする政治史研究では、東林派を扱った溝口雄三氏と小野和子氏の研究を除くと、内閣の仕組みなどを扱った政治制度史や、個性ある皇帝・高級官僚・宦官等を善悪二元論的に理解する人物史研究が多く、特定の案件の政治過程を具体的に再現したものは少ない。
 本論文は、嘉靖29年(1550)のアルタン=ハーンによる北京城包囲と明朝に対する朝貢再開の要求、これに対する明朝側の対応策の模索から、30年のモンゴル・明間の馬市実施、さらに31年の馬市禁絶に至る政治過程について、一次史料を緻密に解析し、説得的な推論を提示することを通じて、その再現に成功している。すなわち、皇帝、内閣、中央の六部や地方官など、視野に入れるべき諸当事者をほぼすべて取り込んだうえで、重要政策には「親裁」で臨むが、日常的には官僚たちの政策審議の場から遠ざかり、現実を知悉しない嘉靖帝と、皇帝の意向のままでは対処不可能な現場を預かる中央・地方官僚とのせめぎ合いの中で、内閣首輔の厳嵩が両者の妥協点を探り、事態の軟着陸を図っていた状況を浮かび上がらせている。そして嘉靖年間の内閣は、次の隆慶年間とは異なり、皇帝「親裁」における「顧問官」的性格であったことを指摘している。
 これらの成果は、従来の研究水準を大きく乗り越えるものであり、第1回の史学会賞にふさわしい内容をもつ論文と評価できる。今後は、他の時代や地域との比較も意識し、さらに広い展望のもとで研究を進められることを期待したい。