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受賞者

第10回史学会賞

このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第10回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2023年11月11日(土)に授賞式が行われました。

 

受賞者

トーマス・バレット 氏

受賞論文

「「D.B.マッカーティと「琉球処分」問題
 ――清朝在外公館における外国人館員の私的活動とその意義をめぐって――」
『史学雑誌』第131編2号(2022年2月発行)掲載

受賞者略歴

(所  属)

(主な業績)

ケンブリッジ大学アジア・中東学部ポストドクトラルフェロー

”Un pont entre les mondes: les diplomaties de l’ombre
de Halliday Macartney au temps de la guerre franco-chinoise”,
Francois Lachaud et Martin Nogueira Ramos eds., D'un empire,
l'autre : premieres rencontres entre la France et le Japon au XIXe siecle (Paris: EFEO, 2021)
「清朝在外公館における西洋人スタッフの外交活動に関する考察
  ――清仏戦争時のハリデー・マカートニーの活動を中心に――」
               『東洋学報』 100編3号、2018年

選考理由

 トーマス・バレット氏の論考は、在外公館員の主体性という新たな分析視角から「琉球処分」問題を論じたものである。1877年から1880年にかけて駐日清国公使館に勤務したアメリカ人D・B・マッカーティの私的活動に注目し、それが琉球をめぐる日清間の外交交渉に与えた影響を明らかにしようとする。
 マッカーティは、私的活動として、琉球の地図や地理・歴史に関する書籍を収集し、研究調査を行った。また、琉球問題の調停に当たった前アメリカ大統領グラントの相談役となり、日清両国による琉球分割を内容とする和解案の作成に関与した。日本側が「琉球処分」を正当化するために英字紙に掲載した記事に対しては、自身の研究に基づいた論説を別の英字紙に匿名で発表し、効果的な反論を行った。1880年に日清間で琉球問題に関する交渉が行われた際、日本側はグラントの示した分割案と共通する内容を含む妥協案を提示した。著者は、マッカーティの私的活動が日本側の譲歩をもたらした一因であったと主張している。
 本論考は、近年の外交史研究の成果と動向を踏まえ、「外交」を公私の枠を越えた広い意味で捉えることにより、新たな可能性を切り拓こうとするものである。在外公館員の私的活動とその影響について、日中米英にわたる多言語の、外交文書、私文書、新聞などの多様な史料を駆使して、詳細に描き出すことに成功している。著者の指摘には仮説にとどまるものもあるが、十分検討に値するものであり、今後の研究の発展が期待される。著者の挑戦的な姿勢を評価したい。また、本論考の分析視角や指摘は、広く他地域の研究にも適用することが可能である。
 以上の理由から、選考委員会は本論文を第10回史学会賞にふさわしい優れた論考と評価するものである。

第9回史学会賞

このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第9回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2022年11月12日(土)に授賞式が行われました。

 

受賞者

村田 優樹 氏

受賞論文

「革命期ロシアのウクライナ問題と近世ヘトマン領

 ――過ぎ去った自治と来るべき自治――」

『史学雑誌』第130編7号(2021年7月発行)掲載

受賞者略歴

(所  属) ウィーン大学歴史文化学部博士課程

(主な業績)"Multiple Paths to Autonomy: Moderate Ukrainians in Revolutionary Petrograd," Kritika, vol. 22, no. 2 (2021).
「ロシア革命期ウクライナにおける民族属人自治」(『ロシア史研究』105号、2020年)

選考理由

 村田優樹氏の論考は、ウクライナの近世ヘトマン領の歴史的意義を考察した帝政末期ロシアの歴史家フルシェフスキーと法学者ノリデの学問研究と政治的実践活動を対比して分析することを通じて、「歴史研究・国制論・実践政治」の相互関係を明らかにし、近代ロシア国家構造におけるウクライナ問題の重層的特徴の解明に新たな視点を提示した。

 歴史学と国法学という異なる問題関心から近世ヘトマン領研究を進めたフルシェフスキーとノリデの二人は、ロシア国家に組み込まれた近世ヘトマン領に地域自治の存在を見出した。しかし他方で二人は、ロシア帝国内部の地域自治原理の評価については大きな相違を示し、ロシア革命期に顕在化したウクライナ自治要求をめぐっては対立する立場を示すことになる。この経緯を著者は、二人の著述の精緻な読解によって鮮やかに描き出し、ロシア帝国においてウクライナ問題が議論された複雑な様相を明らかにした。

 未公刊史料を博捜して歴史を再構成する近年のロシア史研究に多く見られる方法とは異なり、著者は、急速に進展したナショナリズム研究・帝国史研究の成果をふまえて同時代の基本文献を現代的な問題関心から多角的に分析することで、二人の学問的主張と政治的実践活動との関連性の解明に大いに貢献した。時に明確さを欠く表現には改善の余地もあるものの、帝国内の地域自治を歴史的に考察した知識人が現実の自治問題に示した相対する見解を剔出した本論考は、歴史認識と現実政治との関わりを考えるうえで、またウクライナ民族問題だけでなく近代諸帝国の民族問題を比較考察するうえでも、新たな可能性をひらく展望の広さを有している。

 以上の理由から、選考委員会は本論文を第9回史学会賞にふさわしい優れた論考と評価するものである。

第8回史学会賞

このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第8回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2021年12月13日(月)に授賞式が行われました。

 

受賞者

袁 甲幸 氏

受賞論文

「明治前期の府県庁「会議」
――行政における「公論」の展開――」

『史学雑誌』第129編2号(2020年2月発行)掲載

受賞者略歴

(所  属)

(主な業績)

早稲田大学総合人文科学研究センター助手

「三新法体制における府県「公権」の形成」
(『史学雑誌』127-7、2018年7月)

「地方税寄付収入に対する府県会議定権の変遷」
(『日本歴史』855、2019年8月)

選考理由

 袁甲幸氏の論考は、1880年前後の府県庁で、高級幹部ではなく、数的に大多数を占めていた属官たちによって、「公論」形成の場としての会議が開かれていたことを明らかにした。

 袁氏は多くの府県の史料を調査して、全国的な制度では定められていないこの種の会議が、1875年の地方官会議を契機に「官民共議」の場であった地方民会から議員としての府県庁官吏が排除されたことに対応して、民会に出席する官吏が説明する県庁の方針を定める必要と、府県庁内部での対等な議論で「公論」を形成しようとする属官たちの意志により、さまざまな府県で開かれるようになったことを示した。そして、まとまった史料が残る岩手県の例を検討し、決定権は県令にあるが、各課署の正副長と課内で毎月選出される議員たちが、住民が選ぶ府県会の議員が地元の利害や負担能力を反映するのに対し、府県会での審議内容も見識に組み込んだ自分たちの「衆議」こそが「公論」を形成すると考えて議論し、予算原案を修正して県会との紛議を防ぐなど、円滑な統治をもたらしたことを指摘した。そして、このような会議は、官僚制が発達し庁内の階級差が拡大し、専門性が深まる1890年前後には見られなくなるとする。

 幕末以来の「公論」や明治の地方制度を巡る研究の進展を踏まえつつ、その両者を貫く新たな視角を示し、この時期には他地域出身の県令が県会と対立、妥協しながら個性的に地方統治を進めたとする理解を、根本的に再考させる成果である。この研究で新たに示された、「公論」を形成すべく中下級官吏の会議が幅広く行なわれていたという事実は、この時代に「公論」意識が根強く存在し、行政に反映されていたことを示す点で日本近代史に新たな知見を加え、議会以外の場での議論に注目すべきでないことを示す点で、地域や時代を越えた意義を持つ。

 以上の理由から、選考委員会は本論文を第8回史学会賞にふさわしい優れた論考と評価するものである。

第7回史学会賞

このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第7回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2020年12月8日(火)に授賞式が行われました。

 

受賞者

付 晨晨 氏

受賞論文

「斉梁類書の誕生
――初期類書の系譜と南朝士人――」
『史学雑誌』第128編2号(2019年2月発行)掲載

受賞者略歴

(最終学歴)

(主な業績)

東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学

「『藝文類聚』から見た初期類書の性格」
(『東洋学報』101-2、2019年9月)
「『修文殿御覧』編纂再考――南朝類書の北伝と北朝類書の誕生」
(『東方学』140、2020年7月)

選考理由

 付晨晨氏の論考は、初期類書の発展過程を分析して斉梁期にその画期を見出すとともに、初期類書の斉梁類書への転換の背景に、皇帝が抱える知識整理の必要性と、寒門士族がもつ自己の文化的価値向上の思惑との見事な一致を見出したものである。

 すなわち、著者は、『皇覧』を始祖とする初期類書の系譜を、唐代の『華林遍略』に至るまで詳細に辿り、それぞれの類書に記載された内容を比較検討したうえで、初期類書の発展を南朝(420―589)の斉梁期に見出す。そのうえで、斉梁類書の出現の歴史的意義を、知識の面での新時代の幕開けを告げるところに見出そうとする。隋唐時代以前の類書が全て散逸している中で、著者は、唐人の斉梁類書に対する議論と、斉梁類書と直接に継承関係をもつ唐代類書とを検討の素材として、斉梁類書の性格に迫っているが、限定された史料の丹念な収集と、それらを多角的に分析して着実に議論を進めていく研究手法は、史料の限られた古代史の研究方法として範とされるべきものである。

 また、著者は、斉梁期の類書編纂の背景に、漢代以前の知識を主とする『皇覧』から、魏晋の知識を「典故化」するものへとの類書の性格の変化を見出し、あわせてこのことが、当時の寒門士人による、朝廷に書籍や知識を提供することで彼らの有する文化的資源をより価値あるものにしようとする志向によるものであることも明らかにしている。類書編纂の有り様の変化という文化史的現象の指摘に留まらず、それが、類書編纂に当たった寒門士人の成長と絡み合った結果であるとの見通しを得られたことは、今後、南朝の政治や社会の歴史を論じていく上での本論考の研究史への大きな貢献であるということもできる。

 以上の理由から、選考委員会は本論文を第7回史学会賞にふさわしい優れた論考と評価するものである。

第6回史学会賞

このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第6回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2019年11月9日(土)に開催された第117回史学会大会にて授賞式が行われました。

 

受賞者

殷   晴 氏

受賞論文

「清代における邸報の発行と流通
――清朝中央情報の伝播の一側面――」
『史学雑誌』第127編12号(2018年12月発行)掲載

受賞者略歴

(所  属)

(主な業績)

東京大学大学院人文社会系研究科博士課程学生

「提塘からみた清朝中央と地方の情報伝達」
(『東洋学報』99-3、2017年12月)

選考理由

 本論文は、清代の中央政府の情報が邸報をとおして各地に伝播していく過程を、中央政府の書吏、出版業者の活動から検討した力作である。従来あまり関心が払われなかった中央の情報の伝わり方に着目することで、清朝における中央と地方、官と民の関係を考えるための貴重な材料を提供する。

 邸報は、皇帝への上奏文や謁見した官僚さらに各部局の報告などからなる。書吏によって記された邸報が、営利目的の印刷業者(「小報房」)によって印刷され、それを各省の駐京提塘が購入して、3日に1回の頻度で北京から州都へ邸報を発送した。邸報は州都の高級官僚に届けられるとともに、さらに複写・印刷されて地方官や民間人にも販売されたことが明らかにされる。また書吏が、邸報の配達に参入する場合もあった。邸報には、各版本間に内容の相違があり、また上奏文の取捨選択のし方にも差異があったにもかかわらず、中央政府は書吏の記述に誤りのない限り基本的に干渉せず、一時期を除き印刷業者も監督しなかった。清朝の国家統合を考える上で、興味深い慣行が提示される。

 本論文は、清朝の情報伝達の変化にも目配りがされている。情報管理の強化をはかるため中央政府は、乾隆後期に印刷業者として駐京提塘が共同で運営する公慎堂を設立させた。しかし、資金難のため、道光年間に個人経営の印刷業者が復活したことが示される。20世紀になると、情報伝達の不統一性が問題になり、中央政府自らが情報を発信するようになる。さらに日清戦争以降には、新聞や雑誌が全国的に普及する。ただし、これらの媒体でも、書吏が情報源として重宝された慣行が明らかになる。

 論点の提示の仕方は明快で、史料にもとづく実証も行き届いている。清朝をはじめ前近代の王国史研究に新たな展望を開く秀作として、本論文は史学会賞にふさわしい作品であると判断した。

第5回史学会賞

このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第5回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2018年11月24(土)に開催された第116回史学会大会にて授賞式が行われました。

 

受賞者

前野 利衣 氏

受賞論文

「十七世紀後半ハルハ=モンゴルの権力構造とその淵源
 ――右翼のチベット仏教僧に着目して――」
『史学雑誌』第126編7号(2017年7月発行)掲載

受賞者略歴

(所  属)

(主な業績)

東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程学生

「ジノンの地位とその継承過程からみた17世紀ハルハ右翼の三核構造」
(『内陸アジア史研究』32、2017年3月)

選考理由

 前野利衣氏の論考は、17世紀後半のハルハ゠モンゴルの権力構造の特徴を、右翼のチベット仏教転生僧に着目することによって浮き彫りにしたものである。

 本論考がもたらした具体的な知見は以下の三点である。第一は、近親者で聖俗両界の頂点を占めて共同で統治する形態がハルハ右翼に生まれていたことを解明した点である。第二は、このような統治形態がハルハ右翼のみならず、全ハルハ゠モンゴルに共通するものであったことを明らかにした点である。第三は、ハルハ゠モンゴルにおける聖俗の権力構造が、チベット仏教影響下にある諸地域にまで広がっていたことを指摘した点である。

 本論文の際立った特長は、漢文、チベット語、モンゴル語、ロシア語文献など多言語・多系統の資料を駆使していることである。これによって、従来史料的な制約によって解明が遅れていたハルハ右翼に関する実証的研究成果が得られたことに加え、ハルハ゠モンゴルの権力構造についても新たな理解が提示されている。また、世俗権力と宗教的権威との拮抗・対抗関係について西洋の事例との比較研究が展望されている点は、研究のスケールに大きな幅を与えており、論文の論理構成や叙述も申し分ないものだといえる。

 著者が有する多言語能力をブラッシュアップすることにより個々の史料の読み込みに深みを与えつつ、こうした事例が全ユーラシア史にもつ意味、様々な比較研究の中で見えてくるもの、といった大きな問題意識の中で議論が展開されることで、学界に大きな刺激を与えることが期待される。

 以上の理由から、選考委員会は本論文を第5回史学会賞にふさわしい優れた業績と評価するものである。

第4回史学会賞

このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第4回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2017年11月11(土)に開催された第115回史学会大会にて授賞式が行われました。

 

受賞者

紺谷 由紀 氏

受賞論文

「ローマ法における去勢
 ――ユスティニアヌス一世の法典編纂事業をめぐって――」
 『史学雑誌』第125編第6号(2016年6月発行)掲載

受賞者略歴

(所  属)

(主な業績)

東京大学大学院人文社会系研究科博士課程学生

「コンスタンティウス2世治世(337-361年)における聖室長官エウセビウスの位置付け――宮廷宦官の人的関係に関する一考察――」
(『西洋中世研究』6、2014年12月)
「Castration as medical treatment: the Miracles of St. Artemios and Paul of Aegina」(『史苑』77-2、2017年3月)

選考理由

 紺谷由紀氏の論文は、後期ローマ帝政期において宮廷機構の内部で用いられていた宦官などの去勢者という存在をローマ法がどのように位置づけていたかを1世紀から6世紀の法史料の網羅的分析を通じて考察したものである。
 ユスティニアヌス1世治世期の『勅法彙纂』、『学説彙纂』、『法学提要』などの法集成において生殖不能者としての去勢者という存在が後期ローマ帝国の立法者によっていかに規定されていたかを通じて去勢行為や去勢者に対する為政者側の認識を探ろうとするその試みは、オーソドックスな法制史研究の手法であるが、集められた関連史料を包括的かつ徹底的に読み込んで、論点を明確にしていく論述の展開は見事である。
 本論文では、去勢という行為(生殖機能の喪失)そのものの歴史的位置づけや去勢者の社会的役割を叙述史料によって論じるのではなく、あくまでも去勢により生じる奴隷や自由人の法的立場の変化(自由の付与や隷属化)に限定した緻密な分析を通して、去勢行為をめぐる皇帝や法学者の認識がいかなるものであったのかを明らかにしている。ローマ帝国の為政者にとって、去勢者(生殖不能者)の法的能力の有無を問うことが主要な関心事であったことが、婚姻や養子縁組といった去勢者(生殖不能者)の有する本質的な身体的属性にかかわる様々な法規定とその規定編纂の変更プロセスの分析から明らかとなる。そこでは去勢者の法的能力をめぐって通説とは異なる皇帝や法典編纂者たちの多様な去勢者認識(配慮と寛容など)とその変容が読みとれるのである。
 本論文には、ローマ法における身体性の自由、財産権、奴隷(隷属)概念など今後さらに検討されるべき重要な論点も含まれているが、何よりも去勢ないし去勢者という切り口から、後期ローマ帝国の法的身分の在り方に再考を迫る斬新な試みであり、今後、ビザンツ、イスラ―ム、中国社会との比較研究の可能性をも秘めた研究としてまことに興味深い。
 以上の理由から、選考委員会は本論文を史学会賞にふさわしい優れた業績と評価するものである。

第3回史学会賞


このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第3回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2016年11月12日(土)に開催されました第114回史学会大会総会にて、授賞式が行われました。

 

受賞者

藤波 伸嘉 氏

受賞論文

「ババンザーデ・イスマイル・ハックのオスマン国制論
 ――主権、国法学、カリフ制――」
 『史学雑誌』第124編 第8号(2015年8月発行)掲載

受賞者略歴

(現  職)
(最終学歴)
(学  位)
(主な業績)

津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了
博士(学術)

『オスマン帝国と立憲政
――青年トルコ革命における政治、宗教、共同体――』
(名古屋大学出版会、2011年12月)

選考理由

 イスラーム圏の国制論においては、イスラームといういわば特殊な要因が前面に出る場合が多く、近代的諸価値への対抗が強調される傾向が強い。本論文は、オスマン帝国末期の法学者・政治家であったババンザーデ・イスマイル・ハック(1876-1913)の著作『国法』を主に取り上げ、近代的な意味での主権や立憲制を踏まえて眼前のオスマン国制を論じた全く異なった思想潮流を提示したものである。
 『国法』は、イスマイル・ハックが行政学院教授であったときの講義録である。オスマン帝国のイスラーム性は認めつつも、法や政体に関わる教説は選択的に採用し、カリフ制を含めて当時の国制と矛盾のないように説明する。彼が自明視した国民主権のもと、憲法と議会が存在するのであり、ここではオスマン王家は国家の一機関と化している。また、立法・行政両権の調和を志向し、議会が過度に君主を含めた政府に介入することに批判的であった。ここに、彼は一つの体系をもったオスマン憲政論を提示しているのである。
 一方で、彼は当時のオスマン帝国に埋め込まれた特権、特に外国人特権と特権諸州を、国家の主権を侵すものとして強く批判する。しかし、宗教的特権については多くを触れず、イスラーム国家でありながら、非ムスリムも含めた諸民族の統一を求めた。彼によれば、国民代表機関としての議会が存在する以上、民族・宗派別選挙は必要ないのである。彼の議論は当時の情勢を鑑みれば理解しうるものであるが、多民族多宗派性をその国制論に取り込むことはできなかったのである。
 本論文は、単にオスマン近代史の優れた研究というのみならず、オスマン帝国がいかに主権や民主主義という普遍的な命題と格闘してきたかを、他の非西欧諸地域とも比較しうる形で提示し、20世紀初頭という時代性を鮮やかに描いている。イスラームの再解釈、主権や民主主義との関係など、今日の中東地域に関して行われているさまざまな議論にオスマン史の立場から一石を投じるとともに、人類史における主権や立憲制の確立過程を考える上でも大きな示唆を与えてくれる論攷である。
 以上の理由から、選考委員会は本論文を史学会賞にふさわしい優れた業績と評価するものである。 

第2回史学会賞


このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のとおり第2回史学会賞受賞者が決定いたしました。
2015年11月14日(土)に開催されました第113回史学会大会総会にて、授賞式が行われました。

 

受賞者

吉井 文美 氏

受賞論文

「「満洲国」創出と門戸開放原則の変容
 ――「条約上の権利」をめぐる攻防――」
 『史学雑誌』第122編 第7号(2013年7月発行)掲載

受賞者略歴

(現  職)
(最終学歴)
(学  位)
(主な業績)

山形大学人文学部講師
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了
博士(文学)
「日本の華北支配と開灤炭鉱」
 (久保亨・波多野澄雄・西村成雄編『戦時期中国の経済発展と社会変容』〈日中戦争の国際共同研究5〉慶應義塾大学出版会、2014年)

選考理由

 1931年の「満洲事変」によって、中国東北部が「満洲国」の行政下に置かれて以後、英米を始めとする諸外国は、中国との間で保有していた「条約上の権利」がどのような影響を蒙るのかについて、重大な関心を寄せていた。日本外務省は、当初1922年のワシントン会議で締結された9か国条約の遵守を表明していたが、「満洲」の実質的な植民地化という、軍部以下日本政府の本音に押されて、「満洲国」不承認の国には門戸開放原則を適用しないとの態度をちらつかせるなど、9か国条約の実質的空洞化をはかった。
 しかし、もし諸外国が「満洲国」を承認したとすれば、門戸開放原則の適用を拒否することはできなくなる。そこで日本は、むしろ積極的承認を求めないことによって、みずからの「満洲」政策に対する国際的黙認を確保するという戦略を取ったが、これは「独立国」という見せかけとの間に矛盾を抱えていた。他方英米側は、「満洲国」不承認の基本原則に立ちつつも在華権益はできるだけ確保したいという欲求から、日本人・日本企業への優遇措置を根底から批判できず、これが外務省の「黙認」という受けとめ方の根拠となっていた。
 本論文は、こうした微妙なからみあいを、対英・米関係に対象を絞り、なおかつ①「満洲国」による石油専売制導入に伴う英・米企業への不利益待遇、②中国で圧倒的なシェアをもつ英・米煙草業に対抗する日本企業の育成、という2つの事例に即して、詳細に跡づけていく。材料としては、英国国立文書館所蔵の英国外務省文書を中心に、日本外務省の記録、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)所蔵文書などの一次史料がふんだんに利用されている。さらにそこから、日英両帝国の在華権益をめぐる国際法上のすくみあいという状況が、「満洲」、さらには中国全土に展開する日本軍部の暴走を許す要因となった、という巨視的な見通しをも導き出すことができよう。
 以上の理由から、選考委員会は本論文を史学会賞にふさわしい優れた業績と評価するものである。

第1回史学会賞

第一回史学会賞授賞式風景このたび史学会では史学会賞の選考を行い、以下のお2方が第1回史学会賞受賞者に決定いたしました。
2014年11月8日(土)に開催されました第112回史学会大会総会において受賞者が発表され、併せて授賞式が行われました。

受賞者

後藤 はる美 氏

受賞論文

「17世紀イングランド北部における法廷と地域秩序
 ――国教忌避者訴追をめぐって――」
 『史学雑誌』第121編 第10号(2012年10月発行)掲載

受賞者略歴

(現  職)
(最終学歴)

(学  位)
(主な業績)

東洋大学文学部史学科講師
ケンブリッジ大学歴史学部博士課程修了
東京大学大学院人文社会系研究科単位取得退学
Ph.D(History)
‘Charges to the Grand Jury in Seventeenth-Century England’ , D. Bates & K Kondo (eds.), Migration and Identity in British History,Tokyo,32-41,2006-12.

選考理由

後藤はる美氏の論文は、17世紀初頭のイングランド北部ヨークシャ州における社会秩序の形成過程を、地域エリートたちが繰り広げた政治的・文化的なヘゲモニー争いに注目することにより解明したものである。
 議論の主な対象は、イングランド王国臣民に課せられた国教会信仰の遵守を争点とする法廷での争いであり、後藤氏は直接の史料が残っていないという制約を乗り越えて審理過程を詳細に再現するかたわら、ヨークシャ州の地域社会、訴訟当事者たちの行動様式、さらに実際の訴訟が開始されるまでの手続きなどの法廷闘争の背後事情にも分析の目を向けている。そこから浮かび上がってきたのは、最終的に法廷で国教忌避という「犯罪」が確定されて新たな社会秩序が整えられるまでには、国家の定めた成文法の運用をはかる勢力と、地域社会の文化的コードの活用をはかる勢力との間にダイナミックな相互作用があった、という事実である。
 本論文は、種々の次元における史料の慎重かつ緻密な読み、先行研究への広い目配り、重層的な論理構成、そして冷静な分析と叙述など、多くの点で文字通りの労作かつ力作であり、第1回の史学会賞にふさわしい内容を備えた論文として、評価するものである。
 本論文では個別的世界を対象とするが、今後は、たとえば、こうした自己調節機能を持った地域社会の秩序システムが、1640年代のイングランド革命期のような全国的な動乱期にどのように揺れ動き、再編成されていったのか、あるいは同時代のフランスのような別個の原理に根ざした政治社会の秩序システムとはどのような異同があるのか、といった問題などにも議論の射程をのばし、さらに研究を進められることを期待したい。

受賞者

城地 孝 氏

受賞論文

「明嘉靖馬市考」
 『史学雑誌』第120編 第3号(2011年3月発行)掲載

受賞者略歴

(現  職)
(最終学歴)
(学  位)
(主な業績)

京都大学人文科学研究所非常勤研究員
北海道大学大学院文学研究科博士後期課程修了
博士(文学)
『長城と北京の朝政―――明代内閣政治の展開と変容―――』(京都大学学術出版会、2012年)

選考理由

 城地孝氏は、明代の嘉靖・隆慶年間(1522-66、67-72年)を対象とする政治史研究で研鑽を積み重ねており、本論文はその一環に位置づけられる。なお本論文を含む2004年以来の研究成果は、著書『長城と北京の朝政』にまとめられている。
 明代後期を対象とする政治史研究では、東林派を扱った溝口雄三氏と小野和子氏の研究を除くと、内閣の仕組みなどを扱った政治制度史や、個性ある皇帝・高級官僚・宦官等を善悪二元論的に理解する人物史研究が多く、特定の案件の政治過程を具体的に再現したものは少ない。
 本論文は、嘉靖29年(1550)のアルタン=ハーンによる北京城包囲と明朝に対する朝貢再開の要求、これに対する明朝側の対応策の模索から、30年のモンゴル・明間の馬市実施、さらに31年の馬市禁絶に至る政治過程について、一次史料を緻密に解析し、説得的な推論を提示することを通じて、その再現に成功している。すなわち、皇帝、内閣、中央の六部や地方官など、視野に入れるべき諸当事者をほぼすべて取り込んだうえで、重要政策には「親裁」で臨むが、日常的には官僚たちの政策審議の場から遠ざかり、現実を知悉しない嘉靖帝と、皇帝の意向のままでは対処不可能な現場を預かる中央・地方官僚とのせめぎ合いの中で、内閣首輔の厳嵩が両者の妥協点を探り、事態の軟着陸を図っていた状況を浮かび上がらせている。そして嘉靖年間の内閣は、次の隆慶年間とは異なり、皇帝「親裁」における「顧問官」的性格であったことを指摘している。
 これらの成果は、従来の研究水準を大きく乗り越えるものであり、第1回の史学会賞にふさわしい内容をもつ論文と評価できる。今後は、他の時代や地域との比較も意識し、さらに広い展望のもとで研究を進められることを期待したい。